グループホームSOMPOケア そんぽの家 豊中南曽根ホームだより

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1995年1月17日

2023年1月17日

1995年1月16日は日曜日で
淀の京都競馬場で、
名馬『ビワハヤヒデ』の
引退式が行われました。
私も友人と引退式に行ったのを
とってもよく覚えています。

そして次の日の朝、
我が家で飼っていた猫が
朝早くから私をたたき起こし
外に出ることを要求したのです。
猫は外に出ると
我が家に隣接した病院の
駐車場の真ん中にちょこんと座り・・・
そして、その瞬間が訪れました。

1995年1月17日5時46分52秒
『阪神淡路大震災』
その未曾有の大災害の光景は
今も心に刻まれています。

私はすでに社会人でしたので
とにかく職場に向かう事にしました。

倒壊し1階部分が潰れたビル
道路はブロック塀が倒れた残骸で
通行するのも難しく
どこからともなくガスのにおいが漂ってくる。
そんな道路脇には
怪我をされて出血されている方たちが
横たわりうめき声をあげている。
あちこちから救急車や消防車の
音が聞こえるものの
瓦礫などが邪魔をして
路地中には入ってこれない。

私の職場は
今、お世話になっている
SOMPOケアとは違う
某社会福祉法人で
通所型の施設で勤めていました。

通所型ですからご利用者様たちは
全員自宅にて地震を体験されています。
それぞれが各々に避難しておられ
中には遠方の親戚を頼り
避難されている方もおられ
連絡が取れなくなった方が大勢いました。
全員の安否の確認ができたのは、
春を迎えた4月頃でした。

施設は高速道路の側にあったことから
高速道路の支柱が倒壊する危険があると言われ
立ち入り禁止となりました。
ひとまず法人の別施設に
来ることが出来た職員が集まり
ご利用者様の生活を支えるために
分担して避難所を回り
避難所にご利用者様がいれば
ボランティアという形で
昼夜問わずに支援に入りました。
私が自宅に帰る事が出来たのは
およそ1か月が経過してからでした。

震災の直後から1か月も
ボランティアという形で
家を留守にしたのですから
両親からこっぴどく叱られたのを
今でも覚えています。

南海トラフの地震発生の確立が
20年以内に60%程度・・・という
新聞記事を読みました。
今後、いつかまた訪れるかもしれない
そんな大災害を目の前にして
私たちは何を準備して
何ができるのかを
SOMPOケアという
会社の一員として
ご利用者様だけでなく
地域や・・・社会も含めて
まだまだ考えていく事は
たくさんあると
そう感じる1日になりそうです。


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