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読書の秋【番外編】

2023年11月15日

介護職には、高い倫理性が求められます。

なぜなら、病気や障害があっても、ご利用者様がその人らしく生活できるように、あるいは個人としての尊厳が保てるように、配慮しなければならないからです。

そこで、今回は「正しさ」について考察することにしました。

高い倫理性が求められるのであれば、介護職は「正しさ」を追究する立場にいると考えられます。

ここでは、「正しさ」について、古代ギリシアの哲学者「プラトン」の著作からヒントを得ようと思います。

彼は、ソクラテスの弟子にして、「万学の祖」アリストテレスの師に当たります。

彼の著作のなかで有名なのが、『国家』です。

その名の通り、主な話題は国政についてなのですが、副題は「正義について」。

今回はその副題について、特に「正義の起源」を語っている箇所を取り上げたいと思います。

そもそも「正義」を議論によって定義することが可能なのでしょうか。

しかし、一般的な議論がなければ、「正義」という言葉そのものの意味が失われてしまうと思われます。

では、古代ギリシア語の原典を精読しつつ、「正義の起源」を探っていきましょう。

写真の本は、参考文献です(J. Burnet, 1965, Platonis Res Publica, Oxford, Clarendon Press.)。

翻訳した部分をそのまま記すのではなく、簡潔にまとめたいと思います。

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正義は、法律が存在しない自然状態のなかから生じたのだ。

弱者の損失を免れるためのものとして。

というのも、自然状態においては、強者が弱者を搾取したとしても、それを罰するものが存在しない。

自然状態における最大の利益は、「他者から奪っても、罰を受けないこと」。

また、最大の損失は、「他者に奪われても、罰を与えられないこと」。

正義とは、そのような事態を避けるための取り決め(のちの法律)である。

そして、正義の本質は、自然状態における「最大の利益」と「最大の損失」の中間にあるのだ。

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以上が、正義の起源になります。

何が言いたいかというと、正義は決して積極的なものではないということです。

強者が振りかざすものではなく、弱者を守るためにある。

自らを正当化するために用いるのではなく、他者とのつながりを確保するために行使する。

なぜなら、奪いかつ奪われる関係は必ず破綻するからです。

しかし、「○○こそが正義だ」という明確な定義もなく、しかも積極的なものでもないとなると、「結局なんなんだ?」という疑問が生じるかもしれません。

ただ一つ言えるのは、「自己」は「他者」との関係性において成り立っているということ。

誤った「正義」を振りかざして、他者との関係性を自ら損なう人があれば、その人は大きな矛盾を抱えていることになるでしょう。

すなわち、統合されるべき「自己」の「分断」や「疎外」といったかたちで。

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